めぞん一刻を語る⑯:美について

めぞん一刻

美って何だろうと思うのである。絶対的な美っていうものがあるのだろうか?自分が美しいと思っているものが、他人には一向に美しいとは思わないことがあるのである。そうなのだよね。美って、どちらかと言えば、人によって違うように、相対的なものなのではないかと思うんだよね。時間などについて、物理学の世界で、アインシュタインが指摘した理論の一般的相対性理論とは逆の世界が美の本質なのではないかとさえ思うのだよね。時間は自分の感覚では、絶対的時間で過去から未来に一方的に流れていくものであるけど、一般的相対性理論の世界では、時間はどっちの方向でも自由なのである。ふにゃふにゃなんだ。しかし、美に関しては、人の感覚として相対的で、絶対というものがないのではないかと思えてくるのだよね。不思議だね。美って。

美って、規則や法則があるわけではないんだよね。多分。人の心に呼応することであり、それは、美と醜を区分けできる・感じ分けられる精神的なものという人の内面精神に入っていくことになるのかな。今、東京オリンピックである。アスリートの躍動する肉体そのものに美を感じることはあるだろうが、それ以上に、そのスポーツで金メダルを目指して競技に挑むその人間の姿からその人の今や今までの努力や気持ちや純粋な心根に美を感じることが多いのではなかろうか。少なくとも、この心のスタンスを醜という人は少ないのではないだろうか。このオリンピックという世界の中で我々が感じ取れる美というものは、競技でトップを目指すという目的の為に、その目的を果たすために、その人が今取っている行動や気持ち、今まで取り組んできた努力や心根が、効果を挙げた時に、発生しているものとも言えます。美っていうのは、実は、この目的に向かっているときに美が発生してくるとも言って良いのかもしれません。

ところで、外見的・外形的に美しい顔や美しいと言われる体形・スタイルを持ってして、それを美と客観的に言えるのでしょうか?そこに心や内面が全く分からない場合です。それは、当然、それぞれの人の持っている内面の感性から、美しいと思えれば、そこに美は生ずるというのが結論ですが、それはあくまでも人それぞれによる相対的な美に止まるもので、絶対的な美にはなり得ないものではないのかと思われます。そんなことを言っていると、万人が認める美って、そもそもあるのかよという話になってしまいますね。

めぞん一刻における響子さんは、多分、最初から最後まで美人という前提で描かれています。だけども、ただ美しいだけでは、この漫画は成り立たなかったですね。響子さんのキャラが立たないと。彼女の勝気なところも単純なところも実直なところも真面目なところも、その性格が表れてきて、やはり、彼女の外見的な美しさが引き立つようになっています。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

相対的な美なのか、絶対的な美なのかも、結局は、人の感性に委ねられることであり、どちらが正しいということは出来そうにもなく、美とはナカナカ難しいものであるかなという感じになります。ただし、美と醜を区別できるということは美を是とするというか美を善とするような精神的な高揚があるようであり、それは実は善悪判断という心理に繋がっているのではないかという気もしています。

どうでしょうか?美って、実は、善悪判断がその根底にあるっていうのは、どうなんですかね。この考えは私の勝手な考えかもしれませんが、あるような気はしませんか?

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

そんな哲学的ともいえるような『美』は『めぞん一刻』では、どうなのでしょうかね?

まず、この物語自体の登場人物達全てが多分善悪判断の観点からすると、性善説に立っているような人物達で、それぞれが相当にキャラが立ち個性的ではありますが、悪という判断からは遠い人達であることが多くの人はその一般相対的な美的観点に照らしても、登場人物達は全て善なる人々でその人達が絡み合うことで色々な問題が起こるけど、それすらも全て美と醜の対比からしても、全て美であり望ましいものであるという感じになっています。ここに、意外でしょうが、まずは、一番の美があるのです。コメディなのに、美があるのです。人の心の善なるものが、ストーリーの最初から最後まで、徹底して、流れているのですね。強引ですかね??

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

そして、めぞん一刻での一番大事な美は何かと考えてみると、やはり、五代裕作の響子さんへの片想いから始まる恋愛の想いの部分なんだろうなと思います。一目ぼれの勝手な想いから始まるけれど、その想いは時間経過すればするほど、その想いの発露や表現がコメディなところもありながら、ナカナカとても純粋でこのような想いならば、その想いの表現されるシーンは我々に美しいもの、美として実は認識されていたのではないかなと思います。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

そして、やはり時間が流れる中で、響子さんの五代裕作に対する愛の想い。それはそれは、めぞん一刻の中でも、その表現するところはやはり美ですね。本当に美しい場面が結構ありますね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

本当に美しいものを発見した時に、人はどうすれば良いのでしょうか?その美しいものに対して、ただ眼を開くだけです。その人から出てくる言葉に対して、ただ耳を澄ますだけです。人の心の美しさを知るのも、ただ、その美しさを受け入れる心構えさえあれば良いのです。

『めぞん一刻』における美は何かって問うならば、それは、このことに尽きるのではないかと思っています。五代裕作も響子さんも、その美しいものをお互いに発見してから、その美しさを受け入れる心構えを描いた物語とも言えるのです。美とは、お互いの善を認識してから受け入れるまでの心構えのことを指すのかもしれませんね。そういう意味でも、『めぞん一刻』には、全体が美でもあるのですが、二人の愛への心構えの長い歴史が美とも言えるのではないでしょうか。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

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フジ子さん

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