めぞん一刻を語る⑳:気質について

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めぞん一刻
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人は生きるにあたって、十代は大切にしなくてはならない。二十代も三十代も大切にしなければならない。大切にしなくて良い時などあり得るはずもない。けれども、十代はやはり、他の年代とは違う位に、気質とその反映する若い時代を大事にしなくてはならない。

十代っていうのは、大体もって、未完成なのであるから、当の十代の本人はその年代を意外と大切にしないのかもしれないけど、そのころをあんまりに大切にする気もなしに過ごしてしまうことは、とてもとても、勿体ないことであるのは間違いないのである。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

というのは、その人の「気質」ってヤツがこの十代に多分に形作られるのは間違いないからである。「三つ子の魂百まで」とよく言われるけど、覚えてないよね。三つ子の時のことなんか。親が勝手に思い込んで子に刷り込んだ気質みたいなことで、ヤッパリもって、その人の大事な気質ってヤツは十代で形作られることは間違いないね。

十代っていうのは、勉強するのにも、遊ぶのにも、我儘を言うのにも恵まれた時代なのだから、だからこそ、この年代に、自分の気質をある程度客観的に知り、その気質を飲み込み一部を修正していったりすることは、大変大事なことなんじゃないんだろうかね?

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

気質って、何よということになるのだけれど、「その人を一言で言い表すと、こういう人」っていうところかな。怒りっぽい人とか、せっかちな人とか、優しい人とか、楽しい人とか、暗い人とか。その人を見て、その雰囲気でその人の心性が判る表現的なところではないかな?

それでもって、今回は『めぞん一刻』の中での登場人物について、その気質を考えてみようということになるのだけれど、今回第1回目は、まずは、女子高生八神いぶきについて考えてみたよ。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

八神いぶきの気質って何だろうなって思うけど。じゃじゃ馬というのか、ストレートっていうのか、勝気っていうのか、だけど、オトメチックなところもある少女でもあるのだけれど。

ていっ!一言で彼女を言い表すなら、ヤッパリ、『真直ぐ』なんだろうな。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

恋のさや当てでも、とにかく、そのままの真直ぐさ。この真直ぐな八神いぶきの気質は果たしてそれはまだ本当に気質として固まり切っているのだろうか?八神いぶきは自分のこのストレートな真直ぐさを上手に使いこなすことが出来ていない感じがある。なので、この八神のある意味素敵な真直ぐな気質をのびのびと自分の気に入るように自分で上手く育てられるのも十代の時の大事な勉強の一つでもあるのだろうね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

五代君や響子さんとの掛け合いの中で、この真直ぐな気質を上手に使いこなせるようになっただろうか?

歳を取るに従って判ってくることが多いのだけれど、この自分の気質ってヤツは十代の頃に上手に使いこなす練習をしておかないと、結構、後になってから、自分の気質に振り回されることも多いんだよね。ビックリするくらいに。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

歳を取るほどに、この自分の気質ってヤツ(性格と呼んでも良いけど)は自分の中で凝り固まっていくんだよね。なので、十代っていう細胞の若いときに、自分の気質を手名付けて置くことは大事だよね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

気質ってヤツは個性だから、上手に使えれば魅力的になるし、悪しく使えば悪魔にもなってしまうものなので。大事だよね。自分の気質って何なのかっていうことを自分に対して深く内省しておくことはね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

十代っていうのは、やはり、地球にとっても、人間世界にとっても、とても大事な世代だね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

自分の気質を良く知って、それを育てていくこと。ここが、意外と十代の青年たちの肝だったりするのかもしんないね。

出典:『めぞん一刻』(c)高橋留美子/小学館

自分の気質を上手に使いこなせるようになってくると、逆に感受性が高まってくるね。

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ビッコレ

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