そう言えば、『めぞん一刻』の一刻館のある街にある駅は時計坂駅だったのである。この時というのは何なんだろう。想いの多いところの時という意味であろうか。
考えてみると、『インターステラー』は時を巡る宇宙SF映画だったのである。宇宙物理学的にも正しい理論で作られた映画であったとも宣伝していたような。そして、時計は、ハミルトンのカーキフィールドだったな。確か。娘と父の宇宙と時を超えての壮大な抒情詩なのだね、実に。隠れた名作だな。時に関しての。
振り返ってみると、物凄い昔に、『時をかける少女』はタイムリープのことを伝えていたのだし。原田知世は今漸く大人の恋を長い年月の経過の後にしているのだし。まさに、時をかけてしまった少女なのかもしれないな。今、恋しているのだし。
邦画としてこの夏に上映される『夏への扉』もとても小さい時に読んだ記憶にある時のワープの話だったはずだ。何かを変えるために、時を超えること。そういうことがあれば良いと思うけど、そういうことは歴史が変わってしまい、大変なことになると。バタフライ・エフェクトってことか。それでも、夏への扉を開けられたら、本当に幸せだよな。
『ベンジャミン・バトン』は、逆回転の時計のお話。歳を取らずに若返っていくという個の人の体内時計があったのならという不思議な創造。これは、時のイタズラというか、時の厳しさというか、一期一会は通り過ぎるように出逢うからこそ大事なことであることを教えてくれる体内時計のこととも言えようか。無限を暗示させるハチドリも気になるな。無限。
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面白い漫画では、『アゲイン!!』があったな。これも学校の階段から転げ落ちてのタイムリープだ。主人公が、何故か、新垣結衣に似ているのはどうしてだろうな?
夏になると、思い出す映画は、『サマータイムマシンブルース』だ。日本でも、B級映画でも、ここまでのタイムマシンコメディ映画を創れたのだから、凄いと絶賛すべきだな。この程度の時間的遡及を許してもらいたいものだとも勝手に思うし。このかつてのB級映画には、多くの今は有名になった俳優達が出演していたな。ムロツヨシまでいたし。これも時と選択のなせる技であったのかな?
時というものがどうしようもなく物語の原点にあることが多い。そして、時はそこではとても自由気ままに振る舞い、時の流れが人の心を変えていくのである。
時って何なんだろうね。誰も時を自由に扱うことは出来ない。今までも、そして、これからも。だから、歴史は面白いという人も多い。本当にそうなのだろうか?時というものと人の意志決定との関係も、昔から指摘されてきたことだ。右へ曲がるか左へ曲がるかの判断とか、飛行機に乗り遅れたらとか、時の流れと自分の細かい意思決定の動きで、死んだり成功したり、色々な自分の人生が変わってくることがある。あの時ああすれば良かったとか、後に言うことも多い。
そう言えば、これも時間の経過を歌っていたな。ここにも意思決定の選択肢があったかな?時は無限の繋がりで・・・♪♪♬という大人の階段を登る?歌があったが、時は俺たちを大人にしてはくれる。そうだよ、漫画『みゆき』のエンディングテーマ曲『H2O』の❝想い出がいっぱい❞だな。
それはさておき、話を戻すと、間違った時と意思決定選択の融合がなければね。だからこそ、こういう意味でも、時って何なんだろうね。不思議だね。道はYの字になっていて、どちらに行けば良いんだろうかと考え思い、どちらかを決定して、結果、不幸にも幸せにもなる。不思議なことだ。時は誰にも同じように流れているのに、結果は違ってくる。ほんの1秒早いか遅いかだけでも変わってくる。不思議だな。それを運命ということだけで片付けて良いのだろうかね。
もし、人生の岐路で2つの道が前にあって、どちらの道も選べるとしたら自分の人生はどうなっていくのだろうか?時の流れがどう変わっていくのだろうか?そんなことを描いた映画があったな。『ミスター・ノーバディ』だ。その時のその選択でその後の自分の世界が大きく変わっていくのだよね。そう、あのバタフライ・エフェクト的な話だよな。
君は、今までの自分の過去の選択で大きな決断をしたことはなかったかい?自分の入る会社を決める時に、もし今の会社と違う会社を決めていたらとか。今頃、君は、どうなっていたのかね。そんなことを考えることはないかい?眠る前にでもそんなことを思い浮かべることは何回かしてみたら、どうだろうか?きっと、そうしていたら、別の会社に入社した後の自分の人生の夢を見れるかもしれないぞ。夢っていうのも、考えてみたら、ちょっとしたタイムリープかもしれないなって・・・・・。そんなことないか。いや・・・・。
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