政治という演算:政治って何よ

政治



政治って、エンタメなのか?

このところ、政治の世界が、色めき立ってきた。このブログの自分の構図の世界では、極力、政治色的なものは排除してきたけど、考えてみたら、自分の好きな映画や小説や漫画の世界においても、政治絡みのものは結構多いのである。刑事ものにしても、アクションものにしても、恋愛ものにしても、コメディにしても。それって、いうのは、政治の世界が面白いことに他ならない。一番の理由は、その世界が我々には見えてこないからなのである。開かれているようで開かれていない。国会の中で、議員の私生活の中で、選挙の中で、実際の仕事の中で、本当の裏側はどうなっているのよ、というところが秘密めいていて、興味をそそられるのである。国民に開かれた、国民の声を真摯に聞く、信頼できる政治家を歌いながらも、彼らに届く声の向こうには、実に我々がめったに知ることのできない利権やお金や人が蠢いているのである。だから、サスペンスフルのようで、面白いのである。

ということで、今、面白いショーのようになってきているのが、自民党の総裁選のショーである。菅総理の総裁選不出馬を受けてから、1週間も経っていないのであるが、慌ただしく、そこら中で、ざわめきが止まらない。自分の国の行く末のことなのであるから、国民である我々も、マスコミも、当該自民党議員も、野党も、冷静に考えていなかなくてはならないのだろうけれど、何となく、エンターテインメントになっている感もある。

組織と個人

そういう世界は、今、『孤狼の血 LEVEL2 』という映画が流行っているが、暴力団の仁義なき戦いの世界とあまり変わらないのではないかと思ってしまうのである。実際に、そう思っている人も多いのではなかろうか。自民党の派閥などは、暴力団の組と同じような組織の団結を持っていた歴史があったりする。組長と組員。派閥の長と議員たち。組織が出来上がると、そこに戒律と決まりが生じ、義理と人情が生じてくる。

出典:(C)2021「孤狼の血 LEVEL2」製作委員会

人は組織があって、そこに依存し自分を高めようとする。個と集団。集団の中にいる個と個の繋がり。組織は組織と鬩ぎあうこともあるし協力することもある。個は自由を謳歌しようとすれば、組織が縛りをかけてくる。個人は組織人格と個人人格との葛藤の中で、成り立っていくようなところがあるのだ。その辺りに、人は、暴力団映画やギャング映画や政治映画の面白さを感じるようだ。個人が何かをしようとする。そこに、何らかの影響を常に与え続けるのが組織という存在なのである。そこでの葛藤が、面白い行動や結末に続いていくというのが、お決まりのストーリーなのである。自由は制約があるからこそ自由。個人は組織や集団があるからこそ個人。このような組織と個人という観点から、今回の総裁選というシーンを検討してみることも面白いと思う。

総裁選の流れにみる個と組織

「今回の自民党の総裁選は派閥の論理が通用しない。それぞれの派閥で、誰を支援していくかを決めることは難しく各議員が自分の思う候補に投票していくという論理が強いようだ」と言われている。組織が個人を牛耳っていた世界が成り立たないのではと。その理由としては、衆議院選挙を見据えて、誰が総理であることが自分の為にとって一番良いのかという選択を迫られているからだということになっているようだ。その意識自体が、組織の中で一番強そうな者についていくという組織的発想とも思えるのだが、今目の前にある派閥という組織を超えていくというところからすれば、面白い現象が起きているのである。だが、派閥という組織も、そう簡単に、その保有しているラインや枠を超させるわけでもない。

例えば、河野氏は何度も自分の派閥の長である麻生氏のところへ行き、相談をしている。マスコミ情報によれば、「まずは、麻生派の中の議員を説得してみろ。自分を総裁として応援してくれるか。二階派や石破派の連中に連携することなど、先にするなよ」と麻生派閥長は仰っているようだ。

二階派も竹下派も、組織一丸で動くためにも、総裁選立候補の様子をここしばらく見て、誰が勝ち馬になるのかを見極めて、そこに集検していこうと組織的に動こうとしている。choiceなのだ。常に選択の連続なのである。彼らは。そして、組織は。その上で、組織の選択を個に課すのでもある。

派閥という組織は、決して、消えていくわけではないのだ。個人を何とか牛耳ようとしているのである。それでも、今までのような派閥の強いパワーは少しずつ弱くなってきたのであろうな。国民の目が派閥→組織→個人へのパワーに対して、余り良い印象を持たなくなり、疑心暗鬼の目に変わってきたからだろう。それぞれの国民のコロナ禍に伴う自分の状況変化に対して、政治というものにより関心が強まったせいであることは間違いない。誰か、今の情勢を変革してくれる人はいないのか、と。自分の不安や不安定な心を解き放してくれる人を待っているのである。

かつて、このような組織対個人の関係を上手に利用して、「自民党をぶっ壊す」と叫んで、総裁になり首相になった男がいる。ところで、うちには、私などより政治に詳しく評論家に近い家人がいる。彼女は言うのである。「こういう状況になってくると、その男が息子の政治家に色々と教えているかもしれない。そして、同じ手法で、河野氏を担ぎ上げて行くという戦法を取ってくる可能性もあるよ」と。なるほど、そういう手法もあるのか、と驚いた。自民党という組織や派閥を壊してしまうような雰囲気作りをして、悪しき組織解体→それをしたように見せた男の個の強さをアピールする的な方法というか戦略をしてくるのか?組織を逆手に取って、自分をアピールしてくるという手法。組織と個人についても、こんな裏手法さえあるのかもしれないのだ。しかし、それも、組織を潰して個をアピールし、最終的には組織を蘇らせるというフェークニュースかもしれないのに。

魑魅魍魎とした政治の世界。自分が生き残るために、組織と個の中で、どういう演算をしたら良いのか。政治家っていうのは、その演算が上手く出来た者が生き残る世界に存在する個なのだろうな。確かに、その演算をするのはしんどいが、それなりに楽しいのかもしれない。

893の仁義なき戦いのような組織の中に所属する個人と個人の闘い。ちょっとしたエンターテインメントショーになっている。国の行く末を決める大事な戦であるのは間違いないのに、数合わせの為に、奔走する姿。我々国民を代表して選ばれ委託を受けて国会議員をしている人達の心の中に、国と国民を強く思い、そのための施策を本気で打っていってくれる人を選ぶ矜持があれば、有難いと思う。政治の演算。数字だけではなく、組織だけではなく、演算の向こうに常に国民があれば、本当に良いと、政治素人は思ってしまう。しかし、こんな考えは、多分、綺麗ごとで偽善なのかもしれないな。政治の世界のケンカの在り方としては。あっちの世界の仁義なきケンカもそうに違いない。

仮にそうだとしても、国民と議員と政治との間に少しでも信頼関係が築かれる一助となれば、この総裁選というステップも意味があることになるのだが。甘ちゃんの俺はそう思うのでもある。果たして、どうなるのだろうか。今日も、明日も、政治の演算、エンターテインメントは続きそうである。

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フジ子さん

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