『めぞん一刻』での全巻通じての面白さの1つに、五代君の『ツイていないこと』があると思います。我々読者は、その辺りの五代君ツイてないシーンを読むことで、何故か、可哀想と思う以上に、とても、楽しい気持ちになることが否定できません。自分がそこまでツイていないけど、五代君のこのツキのなさは酷いよなと思いつつ、少し嬉しくなるのです。そういうキャラに設定された五代君のツキのなさと失敗の多さが、この漫画での実はエネルギーというかエンジン部分でもあるですね。
これでもかというくらいに、五代君はツキに見放されます。しかし、その失敗に近いツキのなさも、実は、五代君が一生懸命に頑張っているのに報われないという流れであり、五代君の誠実さや真面目さが伝わってくるのですね。でも、直ぐには報われない。周りの人には、誤解される。特に、これもまた真っ正直で真直ぐな響子さんには、誤解されてしまう。
このツキのなさっていうところで、高橋留美子先生は、グイグイと、五代君のキャラを引っ張ってくれています。失敗とツキのなさの無限(∞)ヘビーローテーションがこの物語を引き立てます。読者は、一応に、そんな五代君に親しみを感じます。
それは、五代君がツキがなく失敗になっても、それにメゲズニそれを乗り越えて、前向きに明るく振る舞うから、応援したくなってくるのです。
ところで、ツイていないことの経験を誰も持っていると思いますが、他人は、ツイていることの方は意外と覚えていて、ツイていないことに関しては余り覚えていないのではないでしょうか?自分だけが実はツイていないことを結構覚えている。
そして、ツイていて成功した陰に、ツイていない多くの失敗が隠れているのではないでしょうか?五代君も、多くのツイていないことの連鎖の向こうに、その時々は辛く悲しくても、メケズに前を向いて明るく歩き出していることで、最終的に自分にとっての適材の仕事に出逢い、響子さんとも一緒になれるツキに恵まれたのです。
ツキのない時に、響子さんがお弁当を作ってくれます。ツキのない時には、絶対に、周りの誰かがその人を知らず知らずのうちに、助けてくれるものです。
折角就職できた会社も倒産してしまいました。ツキがないように見えますが、結果として、巡り巡って、保父さんという五代君にとっては向いている仕事と巡り合えます。
タイミングの悪さも、五代君のツキのなさの大特徴です。だから、面白い。
誰かのためになることや自分のためになることを喜んで引き受けた方が良いに違いありません。結果、骨が折れたとしても、そういうことの積み重ねが、あなたにツキを呼び込んでくれるのです(?)
そう言えば、五代君は、ツキのない時でも、愚痴や不平不満や悪口を言っている感じはなかったですね。周りが心配したり喜んだりして、五代君のツキのなさを言うばかりで。ツキのない時にネガティブな言葉を発しないことは、ツキを呼ぶことに繋がるのかもしれません。
五代君は、ツキがなく失敗がその都度あっても、落ち込みながらも前を向いて(多少横道にも入りますが?)ポシティブに行こうとします。心の中に、響子さんが常にいるからなのでしょうが。明るく前向きであることが、ツキのなさを解消してツキを呼び込むことになっていく典型かもしれませんね。
ツイていないことは、貴方の幸せの始まりかもしれませんよ。
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