ホッコリ恋愛漫画の王道である「めぞん一刻」について、第2回目の記事を書いていこう。今回は、愛の心理学についてが中心になるのである。凄い。そこに触れるかい??
ヤキモチの心理学
ヤキモチの恋愛心理学
めぞん一刻の主役の五代君とヒロインの響子さんの恋愛関係心理学の一番の基本は「ヤキモチ」という感情にありますね。ヤキモチっていうのは何かということになると、一般的には、
相手の気持ちが自分以外の誰かに向いてしまうことを恐れて、相手に対して焦がれるような気持ちが「やきもち」という定義が一般的で、やきもちは、嫉妬という感情の一面的な部分を持っています。というか、 やきもちは嫉妬の中の一つであり、好意を持っている相手に対していただく感情ということになるんでしょうね。
五代君は、響子さんと三鷹が一緒にいると、モーレツに、ヤキモチを焼く。響子さんは、こずえちゃんと五代君が仲良く電話をしていると、響子さんはあからさまに、カリカリする。そして、このマンガでのこの二人の良さは、相手がヤキモチを焼いているということに気づかないところに、笑いがあります。
このヤキモチの積み重ねが五代君と響子さんのラブコメ漫画の一番大事なベースとなっているのであります。二人のヤキモチが交錯しあい、交じり合わずに、いつまでたっても、心の中で、二人とも悶々として、二人は、くっつきそうでくっつきません。そこが、読者を喜ばせる一番のプレゼントなのです。
ヤキモチとヤキモキの二重設定よ
そうなのです。漫画の設定自体も、高橋留美子氏は良く考えていて、二人のこの「くっつきそうで、くっつかない」というヤキモチならぬヤキモキをこれでもか、展開してきます。これで、読者は、また、楽しくなる。読む人に、どうにかしてよというヤキモキ感を与え続ける。
上手いですよね。この流れ。結構、はまるでしょ。この二重構造を構築していることの凄さ。マンガの中では、五代君と響子さんがヤキモチでヤキモキ。読む側は、それを読みながら、二人の愛の展開の平行線が長く続くことに、それを長く見ていたいという気持ちと何とか一緒になれよという気持ちの狭間でヤキモキさせるという二重設定ですよ。
何故、ヤキモキするのか?
更に深堀して、この「めぞん一刻」で、ここまで、こんなにもヤキモキするのかと考えてみると、それはひとえに五代君と響子さんという二人の主役の設定でしょうね。二人のキャラクターが良過ぎるのだ。
響子さんは、憧れの人になりうる素敵な人である。女性の良さがどこにも出ているのだ。美人で、気立てがいい。ナイスボティ。おしとやかな部分もあるが、勝気。嫉妬深い。意外と鈍感である。そして、単純。
五代君は、優柔不断。優しい。人が物凄く良い。不器用である。空想しがち。そして、単純。
そうなのである。二人とも、単純なのである。そこが、この物語の肝なのである。単純な性格だから、周りの人はヤキモキするのである。その純粋さに。
ヤキモチの設定要件
ちなみに、ヤキモチが起こるその人の心理背景は何か?次の3つが大きい。
1.自分に自信がない
2.相手を独占したい
3.自分に構って欲しい
裸の心の中に入っていく愛
「不器用な男と勝気な女」の組み合わせ。そして、上記に指摘しているように、読んでいて、イライラしてくる。二人は、想いを寄せ合いながら、 ありえないぐらいのすれ違いとたくさんの出来事の末に、少しづつ、大人になっていく。勘違いしながらも、相手のことを一生懸命に想うものだから、二人は、相手の裸の心を知っていくことを自ずと、毎回、経験することになる。
そうなのである。人が人を良いと思うのは、実は、この相手の裸の心に触れたときであるし、その回数が多いほど、その人の裸の心が自分にとって好ましいものであれば、愛し合うのだ。
響子さんは、五代君の裸の心の綺麗さを知ったのだ。それは、三鷹や惣一郎さんよりも、素敵な裸のありのままの心の美しさを。誰よりも、愛したのだ。だからこそ、このマンガを好きな人達は、響子さんにも五代君にも、愛着を持つのだ。
愛ってのは、きっと、この裸の心を見せることができるかできないか、だね。
忘れようと努力すればするほど忘れない
心理学者の植木理恵の「シロクマのことだけは考えるな!」という文庫本がある。ここにある心理学実証データに、実は、五代君と響子さんの愛の骨格があるのだ。人は忘れようと努力するほど、鮮明に想い出してしまうというものらしい。五代君も響子さんも、相手のことを忘れようと努力するからこそ、忘れられない人として、相手を更に想ってしまうのだ。
めぞん一刻には、響子さんや五代君が傷心旅行と称して、金沢の千里浜や兼六園や金白館で、お互いの想いを馳せる有名なシーンが多くある。そこにあるのが、この相手を忘れようとする心理なのである。忘れようとすればするほど、切なくなるのである。この「めぞん一刻」という歴史的な恋愛コメディ漫画の凄さは、恋愛のめんどくささが昔からの古き映画「君の名は」とかにあるような、人の心の思い込みに入り込んでいるから、更に面白いのである。
今、ひとつ、不十分だったので、次回の「めぞん一刻を語る」で、更に、愛の心理学を深堀していく予定です。
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