こんな時に、何故か、前を向く
イスラエルとパレスチナでの紛争が大変なことになっている。
そして、ウクライナで戦争の悲劇が続いている。
かつて、村上龍が芥川賞受賞の後の第2作目で、『海の向こうで戦争が始まる』を上梓したことがあったけど。この小説の中でも、画面越しにしか世の中や戦争のことを知らないことが書かれており、画面越しにしか哀れを感じない人間の虚しさが描かれている。今と40年前もある意味同じなのだが、SNSがここまで発達している世界では、今の戦争はとても自分たちに近い。
平和ってものが、一瞬で消えてしまうものであることを今画面や画像で私達は感じている。爆弾が落ち、崩れ落ちていくウクライナのビルやマンション。残ったものは瓦礫の山と人の涙しかない。どうなっているんだと思う。何とかならないのかとも思う。しかし、思っているだけだ。そして、時だけが流れていく。
海の向こうで戦争が始まる (村上龍電子本製作所)
どんなことにも人にも、ある意味、終わりがやってくる。そして、そこにどれほどの哀しみがあったにせよ、新しい世界に移っていく。
そして、どうしても、どんな状況でも、人は前に進まなくてはならないのだ。
それは再生という言葉かもしれないし。新生という名に値するかもしれない。少なくとも、人の人生をみていく限り、人の生物的反応と言うべきなのか、悪の世界を進まない限り、人は、希望を持ち続けるのである。
何故か、前を向いてしまうのである。どんな逆境や不幸の中においても。時間の大きな差はあっても。そう俺は思っている。
そういう性質があるからこそ、映画でも小説でも漫画でも、再生や希望がテーマのストーリーが如何に多いことだろうか。
そういう観点から、漫画の世界をみて、この壮大なる再生や新生をテーマにした一番のものは何だろうかとハタと考えてしまった。
そして、それは、何と、『めぞん一刻』であることに行き着いてしまったのである。
何故に、『めぞん一刻』?むしろ、永遠のギャグ満載のラブコメディ系癒し漫画ではないか。しかし、待てよ。そういう観点からみると、これは笑いと癒しの向こうにあるものは、実は、再生の物語ではないか。愚鈍な俺は、今頃、そう思ったのであった。どれほど、この漫画を知ってから、時間が経ったことか。
俺は、自分の別のブログである『幸せ修行道』で、何回か、「めぞん一刻」について、触れてきた。大好きな漫画だったからだ。忘れた頃に、読む。そうやって、長い年月、座右の漫画(?)であったのだ。
めぞん一刻を語り、人生における幸せを論ずるのだ。
しかし、どうにも、この観点には行き着いていなかった。お笑い系癒しで終わっていたのだ。
何故か、前を向く再生の物語。決して、ギャグでは済まされない人の特性や哲学や生き方が閉じ込められた凄い作品であることに気がついたのだ。そして、実は今目の前にある戦争についても繋がっていて、再生の祈りを感じさせてくれるストーリーだから。
だからこそ、若き「めぞん一刻」に触れたことのない人や一度は読んだことのある中高年のくたびれてきた人も、その観点から、この書物に触れてもらいたいと切に思う。
困った時には、前を向きたいときには、『めぞん一刻』を。漫画界のバイブルである。ってか??
音無響子の再生
結婚して突然亡くなった惣一郎さん。女子高生の時からその不思議で穏やかな惣一郎さんを愛してやまない響子さんに音連れた悲劇。惣一郎さんの喪失。
そこから、『めぞん一刻』の管理人をする中で、出会う一風変わった人々。そして、五代裕作。
脇役がここまで自由奔放に活躍しているの漫画はそうない。だが、そこにこそ、響子さんが生まれ変わっていくパワーの源があるような気がする。
当たり前のことだが、人は独りでは生きていけない。明に暗に、どんな形でもその人を支え続けてくれる人達がいるのだ。この脇役たちの自由奔放さこそが、響子さんの喪失の悲しみを癒してくれていたのだ。実は。そうか、そういうことだったのだな。
響子さんは惣一郎さんのお墓参りをもう少ししたいと1人残るのですが、そこで明らかに五代君と結婚する意思を惣一郎さんに伝えていました。心での決別の仕方。
そして、響子さんの再生のための最後のケジメは。
「…そんなことじゃ泣きませんよ。怒るけど。
お願い…一日で良いから、あたしより長生きして…
もう、ひとりじゃ、生きていけそうにないから…」
惣一郎さんとの死別、五代君との結婚、そして音無姓を捨てるための離婚、全てを含めた意味での響子さんのプロポーズに対する答え。泣かせる言葉だよね。そして、響子さんのケジメのつけ方でもある。
これだけでも、『めぞん一刻』って、再生の物語でしょ。ね。
五代裕作の再生
一言で言えば、この漫画の主人公ではあるけれど、今一つ、何においても、足りなくて、思うように物事が進まない人物。でも、憎めない温かさを持ったキャラ。しかし、勘違いが多いが、女性にはモテる母性本能を自然と持った男か。
だが、管理人である響子さんに一目惚れしてから、少しづつ、五代君は変化していくわけなのである。あっちへ行ったり、こっちへ行ったりするけれど。
五代君は響子さんの心から消えない死んだ前のご主人惣一郎さんにある意味、最後まで嫉妬をしていました。死んだ相手に対して。そうなのです。人は心の中に簡単に消せない消してはいけないと思う大きな傷を往々にして持っているのです。
それで、紆余曲折の末、五代君は次のようなことを言うことで、新しいスタートを切ります。
響子さんの中にある惣一郎さんへの想いも自分の中に受け入れてしまうこと、その人と一緒に全てを。その上で、一緒に前に進むことで、私たちはまた幸せな日々を取り戻すことができるのではないかという暗示をくれています。
五代くんが前の旦那さんを含めて響子さんを愛したように、大きな傷や喪失は私たちの一部になります。その中で一緒に次を見つめていく。こんな新生の仕方を『めぞん一刻』は教えてくれますね。
老人の心
人が再生していくためには、経験を積んだ大人が若い者に教え諭すことも大事だ。
惣一郎さんのお父さん。音無老人の存在。義理のお父さんの心の広さに改めて感動する。そして、響子さんが惣一郎さんから離れられなかったのは、そんな息子を失った音無老人の悲しさがわかるからに違いない。
私は、音無老人という素晴らしい存在がめぞん一刻にとっては大変重要なキャラであると思っている。めぞん一刻の再生に関する素晴らしさはこういうところにもあるのだね。
あなたに会えて良かった
そうです。全ての再生や新生のためには、大事な「あなた」と出会うことが大事です。そして、自分とその大事な「あなた」とその間にいるとても素敵な友人や両親や親族が大事です。
誰もが、色んな事をひっくるめて、この言葉、『あなたに会えて良かった』、と言える状態になれると良いですね。
こんな、とても素晴らしい人生賛歌である『めぞん一刻』。ね。バイブルになるでしょ。こんな世界情勢の中で、こんな漫画を読んでいて良いのかと思うのだけれど、その底辺にあるのは人に対する信頼と連帯だから。低いところで繋がっていると思いたい。読むことで、ウクライナを応援しこれ以上人の殺戮のないことを祈る。勝手だが。
ウクライナでは、男達が国土と国民を守るために、誰もが戦場に戦士として戻っていく。そこにあるのは、家族や大事な人や国を再生する為に自分を投げ打っていくことなのである。人が再生していく為に、その人も戦士として再生していく。たとえ、そこに死が待ち構えていようとも。
ところで、閑話休題だよ。
久しぶりに、もしもだよ、『めぞん一刻』が映画にでもなるとしたら、誰が五代裕作や音無響子を演じたら良いと思いますか?他の脇役の役者も含めて、考えると楽しくなってこない?
村上春樹のエルサレム・スピーチ
村上春樹は、エルサレム賞の受賞スピーチでこんなことを言っている。
今日、皆さんにお伝えしたいことはたった一つしかありません。それは私たちは国籍も人種も宗教も超えた個としての人間だということです。そして、私たちはみな『システム』と呼ばれる堅牢な壁の前に立っている脆い卵です。どう見ても、勝ち目はありません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい。もし、私たちにわずかなりとも勝利の希望があるとしたら、それは自分自身と他者たちの命の完全な代替不能性を信じること、命と命を繋げるときに感じる暖かさを信じることのうちにしか見出せないでしょう。
出典:もういちど村上春樹にご用心(内田樹:文春文庫)
そう、命と命を繋げるときに感じる暖かさを信じること。そこに再生が。戦争の向こうが。村上春樹の話も結局は『めぞん一刻』の再生物語に繋がることなのです。今目の前にある戦争へのピリオドになる心持ちはこれしかないのでしょう。ウクライナとウクライナにまつわる人々が今それをしようとしている。その中にはロシア国民もいるはずである。
もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)
なぜ村上春樹文学には、朝ご飯を食べたりお掃除をしたりするシーンが頻繁に描かれるのだろう?司馬遼太郎の後継者としての村上春樹から、「正しいふるまい」のマニュアルのない世界で生きるヒントまで、村上文学の多彩な魅力を掘り下げた異色の一冊。「多崎つくる」論、「女のいない男たち」論を加えた文庫オリジナルバージョン。
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