Sky Blue and Black

小説

「僕はもうすぐ小説を書くんです」

「え?何と言いました?」とドクターは顔を机から挙げた。

「そう、小説が僕を書くんです」

「言っていることが今ひとつ・・・」とドクターは、ずれた薄いボストンタイプの眼鏡に指で触れた。

「小説の方で、僕を待っていることが昨日分かったんです」

「・・・・・・」

「先生には、そういうことはありませんか?」

「そういうこと?」

「そう、突然に、誰かが、自分の静かな時間の中に入り込んでくることが」

「すみません。どうも言っていることが・・・・」

「そうですよね。でも、本当に飛び込んできたんです。あいつが」

「アイツ??」

「先生。時間がありますか。私の話を聞けますか?」

「ええ、まあ、Yさんは私の患者さんですし、今日の最後の患者さんですから、大丈夫ですが・・・」

「なら、先生。少しだけ、お付き合いをして下さい。私に」

時間というものは不思議なもので、流れている。明らかに。過去は確かにあった気がする。でも、かなり昔のことだ。

考えてみれば、時間なんてものは、自分という固有の人間が、それぞれ、自分でしか時間を感じ計ることしかできないものなのに、今日の今日まで、俺は、時間は万人に共通に流れているものだと思っていたのだ。

しかし、俺は自分の勝手な自分に都合の良い論理や感情で生きていたことを昨日実感してしまったのだ。わかりにくいかもしれないが、長い間、俺は俺で自分に多くの言い訳をつけて適当に時間を流していたんだよ。俺の時間は本当にいい加減だったんだよ。それを昨日実感したんだ。どういうことかって?

それはね。解ってもらえないかもしれないが、こういうことなんだよ。

突然のメールが来たんだ。昨日の昼過ぎに。俺は仕事場でいつもの仕事をしていた。早く辞めたいなと思っている俺には向いていないと勝手に思っている仕事をだ。

そのメールは中学の3年5組のクラスの同窓会の幹事をしている野球部のピッチャーだった男からクラスメートに宛てたものだった。

同級生のAの小説が明日発売されるというメールだった。Aのその小説は文学賞の最終選考に残ったということ。喜ばしいことなので、クラスの皆で小説を買い応援をしていこう。この時期なので祝勝会は出来ないが、それに匹敵することをしてあげようというものだった。

俺はそのメールを読んで、今までに感じたことはない虚無感っていうんだろうか、脱力した感じになった。そして、今まで感じたことのない嫉妬まで起こしていた。正直に言って。

先生。時間が止まったっていうのは、きっと、こういう時のことを指すんだろうね。ちょっとした矛盾だけど。時間は止まった。かなりの時間。俺の頭の中は整理がつかなかった。

頭の中を色々なことが浮かび上がった。それは、次のようなことだ。

俺は、何をしていたんだ。この長いたくさん自分に残っていたはずの時間の中、俺は、自分が時間を無為に過ごしてきたことを痛感したんだ。

アイツは、俺が多くあったはずの自分の時間を無為に流していた時に、自分の時間を大事にして、小説の習作をしていたんだ。誰にも知られずに、独りで。アイツの時間はアイツの前でアイツのために流れていた。

俺は何をしていたんだ。今まで、小説も書かずに自分の都合の良いように言い訳めいて、楽な方、楽なほうに逃げていた。自分を誤魔化して生きてきたのは紛れもない事実だ。

毎日、会社に出かけては、少しだけクダラナイ冗談を言い、自分で自分を笑い飛ばし、家族には威厳もなく無視され、俺は自分の居場所を自分で低くしていたのだ。

どうせ、この歳だ。これ以上下がることはあっても、夢のような自分を誇れるような立場にはなれないだろうと決めていた。もう何年も前から。

だから、先生。俺の時間は、ある時から止まっていたんだよ。どうしようもなく。でも、昨日そのメールが突然この俺のある意味惨めだけれど幸せな日常に飛び込んできやがったんだよ。

先生だったら、どうするかい。こんな時に。おめでとうって、連絡をするかい。小説を買って読むかい。感想文を送ってやるかい。

俺には、そんな心の大きな広い気持ちなんて、ないよ。最低なヤツって思われるかもしれないけど。

アイツは、全てを持っている。ハンサムだし、老けていない。仕事もスポーツも出来る。そして、人からは信頼されている。だが、俺は、狭量かもしれないが、小学校・中学校の時から、彼のことが鼻について、距離を置いていた。

自分でも解っていたのだ。こいつは出来るヤツだと。だが、好きになれない。時間が流れ、なるべく、彼と接触しないことが出来れば、二人は自ずから生をまっとうし、知らないうちに死ぬだろうと思っていたのに。

時間がアイツには結果有意義に流れた。俺は時間を捨ててしまっていた。それも多くの時間を。

だから、時間なんて、自分にだけ関係するものと考えていたのに、それは実は違っていたんだ。無理やり、俺のグウタラな時間を揶揄するように、アイツの時間が俺を攻めてきたんだよね。

どうしようもない屈辱と敗北感と劣等感の中に俺は今いる。そして、今、自分では身動きもできない感じなんです。

本当に、今日の天気みたく、俺の心の中は、真っ暗です。あの空のように、黒と灰色なんですよ。

先生、俺の治療にあたって、正直に話をしてくれって、最初に言いましたよね。俺って、今、どうしたら良いんですか?教えて下さい。

「先生、俺の話、聞いています??」


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