累にみるペルソナ

哲学

累という映画であり漫画

累 -かさね- - 映画・映像|東宝WEB SITE

「累」という映画を観た。醜さという言葉が先行して、何故か自分は観ることを拒んでいた。それは、多分の推定だったが、ドロドロさを感じさせる内容に違いないと思ったからだ。実際に、そうだったのだが。ところが、観終わって、自分はこの映画と原作漫画にある大事なことを感じて、ここに記載をしておくことが良いと思ったので、これを今書いている状態です。

それは、人間の顔というか、その向こうにあるペルソナという心のマスクのことについて、これは触れているんだなと思ったところにあります。そこを深めていきたいと感じました。

ちなみに、この累は、松浦だるまの人気コミックを土屋太鳳と芳根京子主演で映画化したものだ。その内容に少し触れておこう。

あらすじ

基本的なポイントはここにある。

♬幼い頃より醜い容姿に劣等感を抱いてきた女・累。そんな彼女に亡き母が遺した1本の口紅。それはキスした相手の顔を奪い取ることができる不思議な力を秘めていた ♬

つまり、傷のついた顔を変えられるという魔法があることがこの漫画と映画の最大のポイント。そして、それは12時間しか持たないということなのである。

より具体的な映画の内容については、Amazon Primeの内容紹介に委ねよう。

「私の人生、乗っ取るつもりでしょ」
「見せてあげる、ニセモノが本物を超える瞬間を」
幼い頃より自分の醜い容姿に劣等感を抱いてきた女・累。
今は亡き伝説の女優・淵透世を母に持ち、母親ゆずりの天才的な演技力を持ちながらも、母とは似ても似つかない容姿に周囲からも孤立して生きてきた。
そんな彼女に母が唯一遺した1本の口紅。それは、キスした相手の<顔>を奪い取ることができる不思議な力を秘めていた―
ある日、累の前に、母を知る一人の男・元舞台演出家の羽生田が現れる。累は羽生田の紹介で、圧倒的な“美”を持つ女・ニナと出会う。
ニナはその美しい容姿に恵まれながらも、ある秘密を抱え、舞台女優として花開かずにいた。母ゆずりの“天使的な演技力”を持つ累と、“恵まれた美しさ”を持つニナ。
運命に導かれるように出会い、“美貌”と“才能”という、お互いの欲望が一致した二人は、口紅の力を使って顔を入れ替える決断をする。累の“演技力”とニナの“美しさ”。どちらも兼ね備えた“完璧な女優”丹沢ニナは、一躍脚光を浴び始め、二人の欲望は満たされていく。
しかし、女優・丹沢ニナの活躍が目覚ましいものとなるにつれ、二人の協力関係が崩れはじめ、嫉妬と欲望にかられた欺き合いへと変貌を遂げる―

Amazon Prime 内容紹介

ペルソナの怖さと重要性

この漫画と映画の最大の特徴は何度も言っているように、外見的な顔を醜い顔から美しい顔に短時間変えられるということで、人間の心理にどういう影響を与え、人はどうなっていくのかということを極めたところにあります。

容姿の美と醜。それがどれだけ人生にとって、人の心にとって大きな影響を持つのか。その影響力を知る者がどれほど美醜に執着するか。このストーリーは、多分一番描きにくいテーマを選んだことにあります。

外見ではなく、心のマスクであるペルソナに焦点を当てている点が凄い。ペルソナとは心理学用語としては、社会的な役割や立場であり、人前でつける心のマスクであり、いわば、キャラのことである。

それをこの映画と漫画では、外見という顔を持ってきて、ペルソナのミステリーを提示してくれたのだ。累は醜い顔、しかし、演技は上手い。才能がある。恵まれた美しさを持つニナ。しかし、病気も含めて演技は下手。才能がない。外と内の完全なる違い。累は今まで心を閉ざしてきた。ニナは開放的で高慢ちき。二人の顔を変える契約をしてから、二人の心に起きた現象とは?

この映画では、ペルソナを12時間ごとに顔から変える二人がいる。累は演技の才能があることで母親と同じく、美しいニナの顔を持つことで、毎日、自信を持つことが出来るようになっていく。ニナは、累の醜い顔を持つことで、徐々に自分の心の中が壊れていく。人は外見なのか?人は心を見ることでその人の価値を見出すことは出来ないのか?

唯一、この映画の中で、関ジャニの横山裕が演じる新進気鋭の舞台演出家の烏合だけが、累の心の奥の不思議さに気づき、そこに魅力を感ずるのだ。だが、こういうことは珍しく、多くの人は、人を外見で判断するということだろうか?

本来、心理学で言うところのペルソナとは、心の中にあるキャラだ。外見ではない。しかし、この映画と漫画では、外見が心のキャラを壊していくことになっている。そうなのだ。内面にあるところのペルソナは外見で変わってしまうのだ。ここに、このペルソナの不安定さを物語る怖さがある。ここは、押さえなくてはならないところだ。なので、整形をする人の一番大きな願望は、この頃の中のペルソナ変化にあるのだろう。

ただ、一般的には、ペルソナを幾つか持っている人はストレスフリーな生活が出来るのだろうとは言える。もし、自分の役割キャラが1つだけであったのなら、多分、相当のストレスが自分に圧しかぶってくるであろう。いつも緊張が抜けない。仕事の顔の自分以外に、趣味の自分、副業の自分、自堕落な自分という心の中のキャラ=ペルソナがあることで、人は何とか毎日を元気に生きているのではなかろうか?

しかし、このペルソナは外見に影響される。それを真正面から、教えてくれた恐ろしい漫画であり、映画であったのです。

ちなみに、私、蓮根京子の方に役者としての将来性を感じました。

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