モノを持たない生活②

お金

前回のまとめ

前回、モノを持たない生活について、記事を書いた。モノを持たないシンプルライフ。モノが溢れてゴチャゴチャした生活からの逸脱を図る人達が増えている。ゴミ屋敷とは正反対な空間を作り、加えて、自分自身の脳も体も心もシンプル化していく。そんなスタンスをしようとしている人達がいる。これはこれで、幸せになるための1つの手段ではないだろうか? というような観点から、「ミニマリスト」・「シェアリングの時代」とかのテーマで感想を書き、フィンランド映画の「365日のシンプルライフ」を紹介した。

今回は、その続編というべきものですね。特に、モノを持たない生活をすれば、お金が貯まるのかあたりに焦点を当てて、考えてみます。

モノを持つことでお金は減っていないかい?

モノを所有すれば、それを置くスペースが必要になることは当たり前のこと。モノが多くなれば、当然のことだが、家にそれなりのスペースがないと収容が出来ない。必然的に、狭いスペースであれば家賃は低いが、広いスペースになれば家賃は高くなり、コストがかかるのである。それは単純計算でわかること。それなのに、人はモノを何故か多く持とうとしてしまう傾向にある。そして、家を拡げることや大きなスペースのあるところに引っ越すことはそれ自体に莫大な金銭がかかるため、逆に人は、それよりも安い自分の好きなものや趣味のモノに金をかけて増やしてしまう。負のスパイラルになっている。

モノはモノを呼ぶ

ひとつのモノを買っても、それだけでは終わらない。それに付随するさまざまなモノが必要になるので、それを揃えなくてはならないことになる。モノが1つで完結することはなく、ジュジュ繋ぎにモノは増えていく運命にあるのだ。テレビ・雑誌・インターネットの広告で我々はモノを買うように迫られている。言ってみれば、このブログも、広告が命のようになっている感じもある。私達は、モノを買わなくてはならないように仕向けられているのだ。

そして、モノは安いものを続けざまに買うようになり、このチリポリのお金が結構、累積していくのである。

自分の購入したモノを見つめ直す

自分の家にあるモノで使われずに、ただしまってあるモノはどれ位ありますか?それは、家のスペースをどの位、占領していますか?

自分が購入して、デッドストックになっているモノをマジに金額に換算しながら、リストアップ出来ますか?恐ろしくて、出来ませんか?私も、かなりの金額で購入した洋服を一切身に着けることなく持っていたり、読みもしないハードカバーの本を大量に持っていたりします。何なんだ、これは。どうして、こんなモノをこんなに大金を払って購入したんだと愕然とします。

そして、高額であるが故に、そのモノを捨てられないのです。

モノと時間

正直、モノが多いと、そのモノを探すのに、大層、時間がかかります。井上陽水の歌ではありませんが、♬探し物は何ですか?♬なのです。大事なことは、モノを探すのに時間をかけるのはおかしいですよね。モノのために時間を失うのは、本末転倒、勿体ない限りです。だからこそ、陽水が歌うのです。♬それよりも、僕と一緒に踊りませんか♬、と。

モノが多ければ、掃除の時間が増える。自分のための、家族のための時間がまた失われる。モノが人間関係をも、駄目にしてしまう可能性だってある。

モノに囲まれた生活

コロナで外に出られない。家での生活が続く。自分を見始める。自分の部屋や自分の家を見始める。モノで溢れているスペースや生活に気づく。ウィルスショックという環境下にあるからかもしれないが、必要なのは、生きていくうえで絶対に必要なモノさえあれば良いという感覚になってくる。そう自分と家族が生きていくために必要なモノは何なのか?

そうすると、不要なモノがやはり異常に多いことに気がつく。持っていて良いモノは、生きるために必要な水や食料や薬やパソコンなどの生活必需品であって、衣服を新しく買う必要はない。自動車や趣味に費やすモノではない。

自分の身の回りのモノで、よく使うモノと使わないモノが意外と決定的に分れていませんか?そうなのです。よく使うモノこそが、本来、自分に必要なモノで、使わないモノは必要なモノなのです。そして、この使わないモノが多いこと、多いこと。服だって、そうでしょう。好きな服を着まわしていませんか?

大事なことは、モノを必要最低限に抑えて、そのモノの1つ1つを大事に使ってやることなのですね。多分。

そうすると、何故か、自分の中も整理され、自分の家も、家族との関係も、時間も、新しく動き始める感じはしますね。

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