巌流島
近頃、横浜流星がコロナ感染し、「巌流島」の舞台は中止になり、彼も相当な心労が溜まったのではないかと推察する。
一生懸命頑張っている人が報われない。よく言われる話だ。ストレスが溜まって、肉体的にも精神的にも辛い。積極的に生きようとすればするほど、自分を痛めつけてしまう。
そんな状態になった時に、少し目線を変えてみる。そんな観点から、書かれた本がある。
こういう時にどう自分と周りとに対処していくか。
参考になるのは、あの伝説の雀鬼と言われた、勝負師「桜井章一」のエッセイの「努力しない生き方」だ。
今回は、そのエッセンスをここに記載しておく。自分のための何かの指針になるに違いないから。
努力しない生き方
蟻地獄から脱出するためのヒントは、「努めて力まない」
やわらかな生き方にある
努力をしてもそれが正当に報われない現代。苦境を打開しようとあがき、もがくほどに状況は悪化の一途をたどる、そんな経験をした人は少なくないだろう。「頑張っているのに」「力をいれているのに」うまくいかないのはなぜなのか? 麻雀の裏プロの世界で二〇年間無敗の伝説を持ち、雀鬼と呼ばれた著者によれば、そんな蟻地獄から脱出するためのヒントは「努めて力まない」やわらかな生き方にある。執着から離れ虚心に生きることで、逆にツキが巡ってくることがある、そんな雀鬼の気付きの世界。これは「努力」というトラウマからの 解放 の書である。
桜井章一
[著者情報]
桜井 章一(さくらい しょういち)
東京都生まれ。大学時代より麻雀を始める。昭和三〇年代から、裏プロの世界で勝負師としての才能を発揮。 “代打ち”として二〇年間無敗の伝説を築き、“雀鬼”と呼ばれる。現役引退後は麻雀を通した人間形成を目的とする雀鬼会を主宰。著書に『人を見抜く技術』『負けない技術』(講談社+α新書)、『壁をブチ破る最強の言葉』(ゴマ文庫)ほか多数。
努力しないーその哲学
桜井章一の哲学を一部覗いてみようではないか。本当に勉強になるぞ。
「努力しない」から、いい結果になる
努力しない:力が入ったら、疑え
努力という感覚で頑張るとどこかに不自然な力が入る。力が入るとあまりいい結果は生まれない。努力ではなく、大事なのは「工夫」。その方が楽しい。
持たない:持つほどに不自由になる
モノにしろ、知識にしろ、持てば持つほどいいことと思ったら大間違い。持って持って離すまいとすればするほど、力が入り身動きが取れなくなる。
このあたりは、ミニマリスト達の考えに近いかな。
得ない:「得る」ことは「失う」ことである。
「足し算」的な発想だけで良いか。それは「得る」ことにとらわれる意識。得るものが多ければ、失うものも多い。「引き算」もやったほうが良い。失うことで得ることも多い。力を抜く引き算という生き方にも注目しろ。
コロナ禍での今の社会。引き算から得ることも多いのでは?
恨まない:上手な諦め方は生きる力を生む
人にも自分にも恨みがましい人生は損。自分を恨まないようにするのは諦めがよくなること。上手な諦めは生きていく強い力を生む。
なるほど、この考えは大事だな。俺はすぐに他人を責めがちになるからな。
壁を超えない:壁は上に乗るといい
壁にぶつかったら、壁の上に乗ってひとまず一息つけ。そして、しばらく遊んでみようという気持ちでいろ。
頑張らない:頑張ると柔らかさを失う
柔らかいということは生きていく上でとても大事なこと。頑張り過ぎると硬くなる。柔らかくすることで、どんな状況変化にも迅速に対応できる。
苦しまない:期待しなければ苦しくならない
期待や目標が思い通りにならないと苦しむ。最初から期待しなければ苦しまない。「たいしたことない」「知ったこっちゃない」を念仏のように唱えよ。
「何もない」から、満たされる
満たさない:「何もない状態」は豊かである
「足りていない」と思っている状態は既に豊かな状態。自分の中で「足りている」ものを如何に無駄にしているか。
何もないのではない。既に与えられているのだ。そういうことか。
休まない:仕事が休みになる
仕事をしながら仕事の中で自然と休む。仕事と休みを区別しない。
絶対を求めない:アバウトなほうが的を得る
「絶対」は100%だからハンドルの遊びはない。「なんとなく」「だいたい」くらいが丁度良い。大きな目標に「絶対感」など持つな。
恰好をつけない:「 」をつけないことが、格好いい
格好をつけている人は、その存在に、『』がついている感じがする。ブランドや肩書がない人は、格好いい。『』を取り去ってみたら、どうでしょう?
プライドを持たない:誇りはうつむき加減に持つ
誇りや自尊心は生きていく上で必要だが、ホコリのような誇りはいらない。上を向いた鼻高々の誇りはいらない。カズのように、グランドで純粋にボールを追い続けるような誇りを持て。
三浦知良の例え、凄く良く分かるね。
急がない:ゆったりすると物事が鋭くつかめる
ゆったりと歩くということは、なるべく自分を自然な状態に置いておくということ。そうすると、見えてくるものがある。
正さない:部分だけを正すと元に戻る
体の歪みを正すには体の全体から見ていかなくてはならない。正そうと思うことは、そこだけを取り出して正そうとしないことだ。その部分と直接関係のないところに正すツボがあったりする。それを慌てずに見つけること。
「求めない」から、上手くいく
求めない:求めると願いはかなわない
今の社会は求めるものがあまりに多い。現代人は求めすぎて「たかり症」にかかっているかのようだ。お金にたかり、愛にたかり、あらゆるものを求めて。求めているばかりの環境で「求めない」行為が大事だ。そこに無限がある。
メジャーを求めない:マイナー感覚があれば自分を見失わない
メジャー志向が過ぎると、人は人の形を失う。マイナー感覚を大切にすることは、等身大で自分をとらえるということでもある。
前だけに進まない:行く手ばかりを見るのは危ない
背中に目を持つ感覚。後ろが見えなくなるというのは危険。人の背後には、後ろを十分にかえりみないことで生まれる無数の魔物が潜んでいる。
自由を求めない:自由はルールの中にある
自由を求めていくと自我が大きくなる。自由と自我を取り違えるな。自我があれば他我がある。このバランスこそが大事。その上に自由がある。自我が大きくならない中に本当の自由がある。ルールがしっかりとあるのだ。
愛さない:愛は本来不純なものである
愛を危ういものにさせないためには、自分が抱く愛もまた所有欲の1つであると思っておくことだ。愛は決して純粋なものではないと思っておけば、危うい愛に至らない。心を温かい適温にすればよい。わざわざ愛を持ち出さないこと。
確かに、所有することへの拘りが愛であれば、怒りや憎しみや嫉妬が生まれる。そこから離れるためには愛に無関心であるという発想は面白い。温かい適温さえあれば、良い。
大きな変化
コロナという今までになかったVirusによって、世界の情勢は一変した。人は、この半年の間に、かなりの生活の変化の中で、意識も相当に変わったのではないかとも思う。
家族といることや普通の日常を送れることの幸せを噛みしめている人も多いだろう。それは、桜井章一が指摘するような「足し算」的な求める生活や人生の中では見出しえなかったものだ。「引き算」的な生き方を余儀なくされて、分ったことに違いない。
自分は何もない。多くのモノを得ていない。名誉やお金や欲しいものが一杯ある。自分は不幸だ。損しているとか思っていたのが、実は、「何もない」自分は如何に幸せなのか。足りていないと思っていた自分が、そもそもあった幸せなモノに今まで気づかったことを知り始めたのだ。
そういう流れにあると思う一つの指摘である。この本は。
人間、どう幸せになっていくか。この「しない」という「引き算」的な生き方の中にも、一つのカタチでの幸せの求め方があるような気がする。
横浜流星。俳優であると同時に武道家である。
武道には、上記のような哲学が多いはず。今、辛い局面にあるかもしれないが、桜井章一的な見方もあるのだから、ここは学びの場として、その雰囲気同様に、柔らかく歩んでほしい。
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