孤独の哲学っていうのがあって良いと思う。そして、孤独にみるハードボイルドの意義について考えてみることも、このような時期に、意外と必要ではないかと考えてしまうところもある。
突然の話ではあるが、パンダというこの世界で大変に可愛い動物のことに触れてみよう。パンダは生まれた時から少しは母親パンダと一緒にいるが、少し経つと基本的に一人なのである。野生でも動物園でも。群れで行動はしないのである。あんなに愛くるしいのに、家族という最低限の単位の群れすらないのである。それを寂しいとか哀しい状態だとか言う人も多いが、果たして、彼ら自身にとって、孤で個で生きていくことが寂しいことなのであろうか。DNAの問題になっていく部分もあるのだろうが、パンダにとっては、他のパンダや家族パンダでいることよりも、多分、孤の方が幸せなのである。多分、進化的に、パンダの生き様は個の孤に行き着いたのである。そのほうがストレスがないのであろう。人は、孤独であり一人であることを見て、勝手に寂しい等の否定的な判断をすることが多い。しかし、果たして、そうであろうか?パンダではないが、傍目で思うより、当の当人にとって、孤独とは、全く逆の判断や価値観があることもあるのだ。
人間関係が複雑になっていくのがこれまでの現代ではあったが、今、コロナという世界に突入して、それは人と巡り合うことが前よりも極端に少なくなってきている。その中で、この孤独というポイントについて考えることも、これからの生きていくための1つの見方として、結構貴重なことになってくるのではないかと感じている。ので、少しだけ、私見を述べてみたい。
現代の世界で今一番にSNSが重要な価値判断や行動指針の基準にまでなってきている感じが強い。人と人の繋がりが強調され、あの『いいね!』が一つの判断基準になってしまうようにまでなっている。その『いいね!』をもらうことで共感を寄せ繋がりがあるかのような世界が構築されているのは疑うことなき事実であろう。これはこれで良いことであるのだろうが、あまりにそこにばかり焦点が行き過ぎると、どうも違うんではないかと思えてしまうことも多々出てきてしまう。
イジメという世界も、実はこれの延長上にあるとも言えることであり、人との繋がりは大事だが、そこからこぼれてしまったら、即、落ちこぼれにしてイジメの対象にするというのも、どうかとも思う。仲間外れになったら大変だと思って、一生懸命に『いいね!』をして繋がる?ってのもね。人との繋がりって、そんなもんじゃないだろうと思うのだが。コロナ禍の世界では、このネット的な繋がり世界での人との繋がり型こそが尊重される。
だが、その前に、自分が何なのか、自分が何を求めているのか、自分がよって立つ基盤は何かとか等をまずは、このような形式的な人との繋がりから距離を置いて考えることが大事なのではないだろうかね。その上で、このSNSの世界に入っていくのなら良いのだけれど、この外形的繋がり世界の波に呑まれて何とかついていこうとするものだから、益々、おかしくなってしまうことも多いのだ。だから、そのためにも、この『孤独』と自分が向き合う世界が必要になってくるのではないだろうかね。
高倉健が人気であったのは、実は、彼が『孤高』の人という感じが常にあったからなのだろう。そして、彼の出ている映画で彼の役は常に孤で群れていなかったように思う。そして、彼自身も孤で常にあったような感じがする。だから、人は彼に魅力を感じたのである。
そこに、多くの男の美学を感じた男達は多いだろう。そして、共演した女優や対談した女性は、高倉健と実際に逢ってみて、その魅力に翻弄されたとよく言われている。そこには、本当の孤高としての潔い孤独が横たわっていたからであろう。
健さんを見ていて思うし感じるのは、孤独が寂しいのではなく、自分を厳しく見つめた上で一人で生きていく覚悟のカタチであろう。他人に頼りはしない覚悟。誰も自分のことを判ってくれなくても良い。自分は自分。だから、群れない。孤で自分の正しいと思った道を行く。ここだろうね。明らかに、あの『いいね!』に頼ってしまう人達との違いは。
自分の考えとは何だろうか。それは他人が決めることでなく、孤独の中で自分が決めることなのだ。たとえ、多くの大事な友人や家族がいたとしても。そこから、自分のいく道が決まるのだ。高倉健はハードボイルドである。そして、フィリップ・マーロウのように皮肉屋でもない。とことん、不器用に真面目である。孤としての個が確立している。
貴方の周りで貴方がいいなって思う人の中には、一人が似合い孤独が絵になる人がいないだろうか。人と群れて自然体で笑っている人もそれなりに良いが、気になるのは多くの人の中にいても不自然でなくしかし決して群れたりしていない心を持っている人であろう。その人は静かだが何故か品があって、強い感じがする。それは孤独というものを自分の中で上手に飼いならしているからだ。
孤独。決して、忌むべきものでもなく寂しいものでもない。そういう観点から、ハードボイルドのことを考えていっても良いだろうね。
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