短編小説的な短編の始まりと終わり

哲学

短編小説的なというか、掌握的な一瞬の何かを継ぎ留めておく必要があるのではないかと考え、ここに残しておくことにした。

簡単なことは、毎日の夢を想い出せるのなら、それを記述して、残していくという手もあるのだが、やんぬるかな、この私、夢を見ているようだが、このところ、自分の夢をすぐに忘れてしまうのだ。

それでは、日記として、1日を振り返りつつ、それを小説的にしたらどうかとも考えてみたが、どうにも、毎日を義務付けられるのは自分として、納得できないのだった。

ということで、掌の小説という言葉を古い昔に聞いた気がする私は、そこに焦点を当てて、何か思い浮かべたら、その都度、書いていくという行為をすることを決意したのであります。

いつ始まるのかも知らず、いつ終わるのかも判らず、気が向いたら、何かを書いているという行動はナカナカ美しいものではないかと自分を勝手に勇気づけるのだ。それしかなかろうね。

その記載の中から、もしかしたら、何かためになることを発見できるかもしれないし、幸せになるれる何かの要素を見つけ出すことが出来るかもしれない。

そう、無駄の効用なのだよ、これは。

ブログを作っていて、自分の中に溜まってきたものを整理していったら、こういうこともあるのだねと気づいたのだね。ホント。

そうなのですよ。言葉をつぐむという行為には、秩序されない多くの自分の頭の中にある何かが秩序立てられるということでもあるのです。

脳のほんのわずか一部しか人間は使えていなくて、無限の可能性をどの人間も持っているという話と同じように。

ありましたよね。脳の眠っていたかなりの部分を活性化した女性が大活躍する映画が。そうですよ。ルーシーです。

ごく普通の生活を送っていた女性ルーシー。ある日、マフィアの闇取引に巻き込まれてしまい、そこで起こったアクシデントによって彼女の脳は異変をきたす。「人類の脳は10%しか機能していない」と言われるが、ルーシーの脳は覚醒し、次々と人智を超えた能力を発揮し始める。脳科学者ノーマン博士は彼女の脳の可能性を信じ、落ち合う約束をする。一方、マフィアは行方をくらませたルーシーを巨大な組織全体で追い詰めていく。マフィアの裏をかき、博士の元へ向かうルーシーは次第に人間性を失い、自分自身でさえもコントロール不能な暴走状態へと陥ってしまう

ルーシーは哀しい結末であったが、人間の脳の活性化のためにも、このかなりの部分で無秩序になっている自分の脳の中にある何かを見つけ出し整理する作業をしていくことが大事だなと勝手に気づいたのでありました。私めは。

それが、まずは、実験的な短編的な綴れ織りをしていくことであったのだ。日常のブログ作業の中で、頭のゴチャゴチャから何かを見つけ出す綴れ織りをしていこうではないか。

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