静かな通りー不安の中での幸せの見つけ方

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ビデオと漫画をレンタルショップのゲオに借りに行った。日曜日の昼12時。外は4月なのに、寒い。空もどんよりと曇っている。途中、自転車で通りを走り抜けていったが、こんなに人がいないのは初めてだ。不要不急の外出以外控えることを、人は真面目に受け入れ始めたのだろうか。雨の粒が少しだけ落ちてきた。天気自体も、不安を増長させているかのようだ。

静かな通り。人の声やざわめきは全く聞こえない。こんな日が日本に、世界に来るなんて、誰が思っただろうか。映画の中では、パンデミックや荒廃した地球の映像がいくらでも流れてきたし、多くの人が死んで数少なく残った人達が未来のために頑張る系の話はこれでもかとあった。しかし、まさか、自分が生きている今、そんなことを予感させる不安な状態になるなんて、考えもしなかった。事実は小説よりも奇なりなのだな。やはり。

どんなに科学と化学が発展しているはずの現代でも、こんなに簡単に、崩壊があっという間に始まるなんて、誰が想像しただろうか?宇宙の遥か彼方までにロケットを飛ばしているのに。深海に深く潜航できるのに。インターネットで簡単に繋がれるのに。人の死を止めることが出来ない。感染を防ぐことが出来ない。

これは、人間がおこなってきたことに対する自然界からの戒めの警告なのか?それとも、人間という生物の絶滅に向けての最初の簡単な一歩なのか?

こういう不安が蔓延する中に、どうやって、幸せを追求していくのか?不安の中で、どうやって、幸せを発見していくのか?それは、こういう制限された生活を余儀なくするのであるから、1つの修行として、この一連のコロナ・パンデミックを捉えれば良いのか?心はチリジリになって、あらぬことを色々と考えてしまう。どう考えても、自分の心の中も閉塞していってしまう。

どうしたら、元気になれるんだろうか?

意外と、クダラナイことをグダグダと考えていた方が良いかもしれない。なので、この記事も取り留めもなく、徒然なるままに、書いている。こういうことが大事なのかもしれない。頭に浮かぶことをそのまま書いていこう。その中に、ヒントがあるかもしれない。

生きるためにすべきこと。現代科学がフォロー出来ない社会の中で、生きるためにすべきこと。それは何か?経済活動がかなりの縮小か破綻する可能性もある中で、生きるためにすべきことは何か?ここまでいくと思いたくないが、その可能性は強くある。

何をイメージするか?やはり、歴史の混乱期に人間がなんとか生きてきた時の知恵とは何だったのかを知るべきだろうか。原始生活に近い、今では、キャンプ生活かもしれないが、地震や津波の災害が起きた時と同じように、耐久生活に備えた準備をしておくべきかもしれない。

ビデオを見る、漫画を読む、小説を読む、ラジオを聞く、これは確かに受動的な楽しみとも言える。それらも、もし、自分の手元に入らなかったらと考えてみて、自分で何かを創作していくことで楽しみに繋げることは出来ないか?自分で面白いものを紡げば良いではないか。こんな考えもある。

音楽も昔のものを整理してみる。そして、自分なりの音楽を作る。こんなことだって、出来るかもしれない。なんてたって、今は、自分の中に深く入っていくしかないのだから。それも、一興だろう。

これ以上のパンデミックが長期に継続していけば、サラリーマンとしての所得も先行き危ないであろう。ならば、金を別の方法で稼ぐ手法を考えなくてはならない。当面は、ネットでの投資とネットでのSNSしかないが、それを充足していくことがかなり大事なことになってくるだろう。

発想の転換だ。こういう不安で制限された生活の中から、次の一手を考えること。生きていくことが当然ながら最優先だ。コロナ以外の病気になっても、そう簡単には病院には行けない。なので、自分や家族の体の免疫力を向上させることがかなり重要で大事になってくる。

ゴルゴ13の漫画の中で一番印象に残っていることは次のことだ。彼自身が傷ついた時には、彼はとにかく眠った傷を癒していったところなのだ。そんな場面が何回かあった。睡眠をとる。そして、安静にする。自分の体の免疫力を上げることが何よりも大事なことなのだ。睡眠をしっかり取ろうではないか。

こんな感じで、取り留めもなく、今の環境下での不安の取り除き方や幸せの見つけ方について書いている。そして、これからも書いていこう。自分に課すべき何かをそこから見つけるために。

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