原尞が死んだ。少し前だ。
長編ハードボイルド小説を書いてきた男だ。
数少ない小説は全て、沢崎という探偵を主人公にしたものであり、それ以外のものはない。
その長編第1作目は、『そして夜は甦る』だ。1988年。
そして夜は甦る
西新宿の高層ビル街のはずれに事務所を構える私立探偵沢崎は、ひょんなことから、行方不明となったルポライターの調査に乗り出すことに——そして事件は過去の東京都知事狙撃事件の全貌へと繋がっていく……。いきのいい会話と緊密なプロット。レイモンド・チャンドラーに捧げられた記念すべき長篇デビュー作。
探偵沢崎。旧型のブルーバードに乗り、“ピース”という間の抜けた名前の両切りタバコしか吸わない。
自分のルールで動く誇り高い男、沢崎。
富も地位も名声もない、家族はなく趣味や友人もない。
あるのは、自分そのもの、のみ。シニカルだが、切れる頭脳。頑丈な闘える肉体。
歳を重ねれば、富も名誉も地位も名声も意味のないものであることを知っている男。
西新宿のシャバの空気の中に、魑魅魍魎とした人の欲望が走り捲る。
「何の用だ?探偵」
「警部に昇進したそうだな。若死が多いのはあんたの世代だろう。よほど警部が不足していると見える。」
彼は顔色ひとつ変えなかった。私たちは、同時にタバコを取り出し、同時に火をつけ、同時に相手に煙を吹きかけた。
そして、2作目は、『私が殺した少女』だ。翌年の1989年。
私が殺した少女 探偵・沢崎シリーズ (ハヤカワ文庫JA)
まるで拾った宝くじが当たったように不運な一日は、一本の電話ではじまった。私立探偵の沢崎は依頼人からの電話を受け、目白の邸宅へと愛車を走らせた。だが、そこで彼は自分が思いもかけぬ誘拐事件に巻き込まれていることを知る……緻密なストーリー展開と強烈なサスペンスで読書界を瞠目させた直木賞受賞作。
ニヒルなセリフ、ブレない心、
厄介で、面倒くさくて、誠実な男沢崎。
私はタバコに火をつけ、同じ紙マッチの火でチラシにも火をつけようとした。今まで渡辺からのすべての便りをそうして灰にしてきた。私は急に思いとどまってマッチの火を消した。それから、チラシを元のヒコーキに戻す作業に取りかかった。折り目が残っていてもなかなかむずかしくて、三十分後にようやく紙ヒコーキになった。窓に近づくと、ハネの反り方を調べ、風向きを確かめ、風の強さを計り、着陸地域を点検した。こういうことでは、私たちはいきなり三十年前の専門家に戻るのだ。私はヒコーキを初夏の午後の風にそっと乗せた・・・・・・
更に翌1990年に、『天使たちの探偵』。長編の合間を縫って、何故か、連作短編集を出している。
天使たちの探偵 (ハヤカワ文庫 JA ハ 4-3)
相変わらずたばこ吸いまくり。いつ廃車になってもおかしくないブルーバード。
携帯なんてないから公衆電話を使う等々、1980年代後半の雰囲気が伝わってくる渋い小説。
1995年に、第3作目の長編『さらば長き眠り』が出た。
さらば長き眠り 探偵・沢崎シリーズ
四〇〇日ぶりに東京に帰ってきた沢崎を待っていたのは浮浪者の男だった。男の導きで、沢崎は元高校野球選手からの調査を請け負う。十一年前、八百長試合の誘いがあったのが発端で彼の義姉が自殺した真相を突き止めてくれというが……沢崎シリーズ第一期完結の渾身の大作。
もはや絶滅したかと思っていた、ダンディズムという言葉を、ごく自然に思い出す独特の世界観。そして重奏的なストーリーは、一気読みせずにはいられない。
「きみの質問がつまらないからだ。つまらない質問にはいくつでも好きなだけ正しい答えがが見つけられるんだ。だが、本当の質問には簡単には答えられないものだ。たぶん、質問そのものに答えなどより重要な意味があるからだろう・・・・・・偉そうにいっているんじゃない。この世の中で、われわれ探偵ほどつまらない質問をすることに明け暮れている人種もいないから、職業柄知っているんだ」
西新宿の裏通りに行けば、渡辺探偵事務所がある。古びたドアを開ければ、沢崎がデスクでピースをくゆらし、無愛想に出迎えてくれる気がする。
そこから12年の歳月が流れて、2007年に、第4作になる『愚か者死すべし』が唐突に世の中に。
愚か者死すべし (ハヤカワ文庫 JA ハ 4-7)
前作『愚か者死すべし』から14年ぶりの2021年に、これも突然に、『それまでの明日』が出たのであった。
それまでの明日 沢崎 (ハヤカワ文庫JA)
私立探偵・沢崎のもとに望月皓一と名乗る金融会社の支店長が現われ、料亭の女将の身辺調査をしてほしいという。が、女将は既に亡くなっており、顔立ちの似た妹が跡を継いでいた。調査対象は女将か、それとも妹か? さらに当の依頼人が忽然と姿を消し、沢崎はいつしか金融絡みの事件の渦中に。「伝説の男」の復活に読書界が沸いたシリーズ長篇第5作。文庫化に際し14年間の沈黙と執筆の裏側を語る「著者あとがき」を付記(電子書籍版にも収録)。
沢崎は14年後も変わらない。そして、憎いほど、素敵だ。独りでまさに一人であることを誇りのように矜持として持っている。皮肉屋で自分を卑下することに長けているが、根は譲れない正義感と優しさの塊である。
「その話ですか。あなたはどうしても私などに自分の名前を知らせたいのですか」 「それは・・・・いますぐはともかくとしても、いつの日か、あなたの友人一人に加 えてもらえるようになるかもしれない」 「あなたは私が探偵であることを忘れていませんか。私には友人など一人もいません。それはたぶん、私がもし探偵でなければ、私のような男とは決して友人になりたくないからです」 「それは・・・・つまり、あなたは探偵なので、私のような男とは友人になりたくないということですか」 「その通りです」
小説の最後で東日本大震災が起きる。つまり小説の舞台は2010年11月から2011年3月。原の前作が発表されてから14年の間に、わたしたちは何を失い、何を見つけたのだろう。本作もまた、震災後文学である。
五十年以上も生きていると、驚くようなことはもうないだろうと考えるものだが、それは間違っていた。探偵家業のせいで死の危険に瀕したこともあるにはあったが、地の底からの大いなる暴力が相手では減らず口を叩くことさえできなかった。かすかに震えている指に挟まっていたタバコをくわえなおして、ゆっくりと煙りを喫いこんだ。私はどうやらまだ生きているようだ。
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