シニアへの入り口
50歳を過ぎたら、老人か?というと、今は人生100年時代と周りがはやすものだから、50代は中年。60代も中年という傾向が強い。
確かに、健康寿命は長くなった。医学の進歩だ。
しかし、50歳を超えたら、やはり、老いじたくを始めても早すぎることはないのではないかい?
俺の中では、50を過ぎたら、そこにあるのは次の世界だ。だから、それは、シニアライフへの突入といって良い。
どこから始めるのかい?old friend
かつて、サイモンとガーファンクルの歌「old friend」を若くして聞いた時に、遥か向こうの世界のように思っていた。
あの語りかけるようなメロディが、冬の陽光を浴びて、静かにベンチに腰を掛けている老人を惹起させたものだ。
まさか、自分がその世界側に入るなんて、想像もしていなかった。そう死ぬことなんて、全く関係ないかのように。
でも、高校や大学の同級生も会社の同僚の何人かも、ポロポロと歯が抜けるように死んでいったのも事実だ。
時間は止まらない。若さは戻らない。刻一刻と。
じゃあ、どうすればいいんだい?はたと悩んだりするよね。少しは。
好きなように生きる
今まで、結構真面目に、組織に従って生きてきたんではないかい?君も。
だとしたら、次のステージは、組織の命令から少し離れたポジショニングを取れないかいということも目に映ってくるよね。
世の中の基準やモノサシに全て従う必要があるか、考えてみる必要がある。
50歳になれば、会社での自分の将来はほぼ予想がついてくる。会社の中での出世争いからは多分離れていく人が、ほとんどだろう。
ならば、どう振る舞うか?どう、今後を生きていくか??
やっぱり、自由に生きたいよね。誰もが思うことだけど。
そう、これから、自分は好きなように行きたいけど、出来るかな??
自分の幸せとは何か?
50歳を過ぎる。会社中心に生きてきた。
今の時代は副業を応援し、ダブルワークは当然のようになっている。なので、若い人は若い頃から、自分の幸せに繋がる生き方を模索しやすいような感じだ。
しかし、今、50歳を超えた人々に、自分の幸せに繋がる生き方は何かを問われたら、案外、何なんだろうと思案する人は多いのではないのでなかろうか?
つまり、今中年オヤジで、これからシニアの第二人生を送る人々にとっては、それを考えることは結構苦痛かもしれない。
どこから始めれば、良いんだ?実際。
自分で自分の幸せを定義できるかが課題だな、まず。
考えること
自分の幸せを考えるにあたって、今から自分にとって必要なことは何かをまずは考えた。変かな?
勝手な自分なりの幸せになるための土台ベースだ。
1.組織にいながらも、個であり孤であることを怖れない。
2.会社組織での役職を早めに忘れる。会社名の自分は早めに捨てる。
3.自分の好きなことは何かを見極める。
4.自分のモノサシである価値基準を整理しておく。
5.前田慶次の晩年の様に生きる。飄々と。自由に。
6.関係した組織の誠実な人々は大事にする。
7.とにかく、全ての基礎は健康。体力を維持するよう努力はしたい。
まあ、こんな感じで、考え始めたらキリがないけど、こうやって自分のブログの中で整理していくことが大事だね。多分。そうすることで、自分にとっての幸せに繋がる何かを後半生に見出すことが出来るはずだからね。
大事だよ。これは絶対に。
シニアへの入り口グッズ
定年後も働くか?趣味に生きるか?終の棲家はどこで、誰と暮らす?リタイア後の経済状態は?介護が必要になったら誰にみてもらう?病名・余命の告知は受けるか?子供に財産を残す?最期の時をどうむかえるか?葬儀や墓はどうしたい?…質問に答えていくうちに、いまの自分が見えてくる!本書は、第二の人生を豊かに暮らすために、“その時”が来てあわてないために、自分の考えをまとめて準備するための確認ノートです。いつでも何度でも、書き直しOK。“不安”を“楽しみ”に変えて、この先の人生を自分でデザインしてみませんか。
漫画家広兼憲史の老いじたくエッセイだ。このエッセイは、50代で『俺たちの老いじたく:これからは好きなように生きる』が出て、それから10年以上経過してから、『俺たちの老いじたく:50代で初めて70代でわかったこと』のエッセイに更なる年輪を重ねたバージョンアップしている。両方に共通している指摘テーマは運命から自立せよ。自分の人生の主役はあくまでも自分なんだと腹をくくることで、変化する環境に左右されずに自適になれというものだ。
50代から考える老いの準備、70代のいまだからわかった楽しく生きられるコツ。これからはわがままに生きる。「贅」も「粗」も両方楽しむ。無理に友を求めない。笑いが病気を軽減させる。逆に、70代から50代を振り返ることで、シニアライフのベスト・ベターな選択を知ることができる一冊である。
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